軽井沢美術館・文学館への旅

日時 H15.6.28〜29
天候 曇後晴
早朝5時出発のところ、目が覚めたのは4時15分。慌てて準備をして家を出たのは4時50分(^^;)。
5時2分ほど前に集合場所に到着。何とか間に合う、やれやれ・・・。
中型バス1台を参加者11名で貸し切りなので、ゆったりできる。
2〜3年前から行きたいといっていた長野県の美術館巡りの旅、ようやく実現の運びとなる。
バスは一路、丸岡ICから北陸高速へ。

芭蕉句碑
雨模様のお天気で、山は霧に包まれている。
石川県に入ったあたりで、海が見えてくる。
白山も立山も雲の中。
名立浜のパーキングで、芭蕉の句碑を見つける。
「文月や六日も常の夜には似ず はせを」
北陸高速から上信越自動車道に入り、長野インターから上田市に入る。途中の山々は相変わらず雲の中(^^;)。

上田市の戦没者画学生慰霊美術館・無言館

上田市の戦没者画学生慰霊美術館・無言館を訪れる。
画家を目指しながら太平洋戦争で兵役にとられ、帰らなかった若い人々の絵や彫刻、戦地から家族に当てた手紙などを展示する美術館。自画像・裸婦画・風景画・家族の肖像など様々な作品がある。戦没地を見ると、沖縄本島・フィリピン・サイパンなど激戦地が多い。妻や婚約者に宛てた手紙、家族、特に母に宛てたを読むといつの時代にも人間の心のありかたは変わらないものなのだと改めて思う。日本にもこんな時代が確かにあったのだから、アフガニスタン・イラク・北朝鮮の問題も遠いことではないと思う。
海野宿重要伝統的建造物群保存地区

左 日本の道百選の碑(北国街道)
右 海野宿の案内板
寛永年間に宿場が成立し、明治時代には養蚕が盛んになった。海野宿資料館では養蚕の過程をわかりやすく展示してある。
海野宿資料館 養蚕の資料館としての展示品が見事。→
裏庭にある物置で実際に蚕を飼っており、養蚕・蚕種・製糸を三室に分けて、蚕の飼育から繭・絹糸になるまでの過程をわかりやすく説明してある。




蚕と桑の葉 繭 糸巻き機 囲炉裏

海野宿の町並み。
雨も上がって青空がまぶしい。
暑いくらいのお天気となった。
一茶の句碑
「夕過の臼の谺の寒哉 文化九年十一月 海野宿泊」もあった。
朝5時に出発して、上田市の無言館に入ったのが11時。休憩も含めてだが6時間もかかる。やっぱり長野県は遠い。中部縦貫道ができれば松本まで約半分くらいの時間で行けるようになるのだろうが、裏山の景観が悪くなるしなあ・・・(^^;)。
長い間行きたいと思いつつなかなか行けなかった堀辰雄文学記念館に、ようやく行くことができた。高校の現代国語の教科書に「大和路信濃路」の中の「浄瑠璃寺の春」という文章が載っていた。その文章を読んでから、堀辰雄(1904−1953)は気になる作家、好きな作家となった。
江戸の面影の残る下町に生まれ、室生犀星や芥川龍之介に師事しながら、書く文章は全く雰囲気の違う私小説風の内面を描く文章。西欧文学に親しみ、プルースト・リルケ・コクトー・アポリネールを読み、また王朝文学にも造詣が深い。




堀辰雄記文学記念館と晩年を過ごした家の書庫とその内部
この書庫の完成を病床から見守りながら、ついに完成を見ることなく昭和28年5月28日になくなった。
柿ノ本人麻呂全集の分厚い本3冊が目についた。この本はレプリカのようだが・・・。
すぐ近くの泉洞寺に、堀辰雄の愛した半跏思惟の石仏(通称歯痛地蔵)があってとても見たかったのだが、時間がなくて見られなくて残念だった。また機会があったらゆっくり訪ねてみたい場所だ。
「春の大和に往って馬酔木の花ざかりを見ようとして途中木曽路をまはって来たら思いがけず雪がふってゐた。昭和18年4月12日 堀辰雄」の碑がある。
旧三笠ホテル(重要文化財)

軽井沢の鹿鳴館と言われる、旧三笠ホテル。
明治39年5月(1905)より営業を開始、昭和45年(1969)に廃業。
岡田時太郎の設計により、電灯によるシャンデリア照明、英国製タイルの水洗トイレ、白い陶器のバスタブ、英国製のカーペットなど当時の最先端・最高級の設備が整っていたホテル。
重要文化財に指定されたのは、日本人の設計による純西洋式ホテルという点が評価されたとか・・・。
明治時代のガラスは厚さが均一ではないので、外の風景がゆがんで見えると説明に書いてあったが、各部屋から見える風景は本当にゆがんで見えた。
ホテル前の愛宕山が奈良の三笠山に似ているところから、三笠ホテルと名付けられた。
夕方と早朝のお散歩
夕食の後、まだ明るいので付近をしばらくお散歩する。夕焼けに染まる浅間山をわずかながら見ることができた。
からまつ林の中に点在する別荘地、灯りも少なくあたりはすぐに暗くなってしまった。
絵本「はじめてのおつかい」の作者、林明子さんの妹さんの経営するお店を見つけた人がいて、絵本を買ったものを見せてもらう。
朝は6時に起床して、自転車を借りて周囲を散策の続き。
野生のリスが素早く走り去るのを目撃。
北原白秋の「からまつの詩」の碑を見つける。なつつばきの白い花が落ちている。道祖神の石仏を見つける。
さくらんぼの小さな実がたくさんなっている。口に含むと甘い。
約1時間ほどのお散歩のあとの朝食は美味しい。




右上 北原白秋の「からまつの詩」の碑 下 道祖神
花




左上 スイカズラ 右上 ウツギ
左下 ナツツバキ 右下 イチリンソウ?
軽井沢高原文庫

高原文庫には高原の避暑地・別荘地として多くの文人たちが訪れ、文学の舞台となった。
軽井沢を愛したゆかりの作家たちの原稿や写真など関連するものを集めてある。
昭和60年に開館。
企画展として「中村真一郎と堀辰雄展」が開催されている。中村真一郎文学碑建設記念と堀辰雄没後50年記念というもの。
「高原文庫」という機関誌があって、面白い特集が組まれており、バックナンバーを2冊買う。「北杜夫」と「芹沢治良」。
北杜夫は高校生の頃、ドクトルまんぼうシリーズはよく読んでいて懐かしい気がした。
北杜夫と長野はそう言えば切り離せない関係だった・・・(高校時代は松本)。
芹沢光治良は中学生の頃よく読んでいた作家で、それを全く忘れていて、この冊子を見て思い出した。「人間の運命」を何巻も読んだものだ・・・。「次郎物語」の続きのような感じで読み始めたような気がする。
堀辰雄1412番山荘


「美しい村」に書かれている山荘。旧軽井沢から移築。
昭和16年に購入後、昭和19年まで、初夏から秋まで滞在。
その後、深沢紅子夫妻が借りて20年ほど住んだ山荘。
野上弥生子(1885〜1985)別荘
昭和の初めに北軽井沢の大学村(群馬県長野原町)に建てられた書斎兼茶室。
野上弥生子はこの別荘で中勘助と交流し、高浜虚子と月を眺め「ホトトギス」の話に興じたそうです。
浄月庵
三笠ホテルの近くにあったものを移築。
有島武郎(1878−1923)は1916(大正5年)から毎年夏をすごし、1918(大正7年)には「生れ出る悩み」の一部をここで執筆。
1916年結核を病んでいた妻が病死し、父も亡くなり本格的な文学生活に入る。
1923(大正12)年6月9日、人妻の波多野秋子と浄月庵でなくなった。


有島武郎の別荘「浄月庵」
軽井沢タリアセン・・・塩沢湖を中心に、軽井沢高原文庫・ペイネ美術館・深沢紅子野の花美術館・遊歩道・イングリッシュローズガーデン・ボート乗り場・アーチェリー・テニス・ファミリーゴルフ・らくやき・レストラン・ショップなどの施設の等々がある。
タリアセンとは・・・ウエールズ語で「輝ける額」の意味。19世紀ウエールズの詩人の名。
旧帝国ホテルを設計した建築家フランク・ロイド・ライトは、自らの工房にタリアセンと名付け、芸術の理想郷を目指したとか。
軽井沢が培ってきた文化を守り発展させたいと、名付けたそうです。
ペイネ美術館
フランスの画家レイモン・ペイネ(1908−1999)の原画やリトグラフを集めた美術館。
1986年に開館。
「ペイネの恋人たち」シリーズで有名。
ペイネの写真も展示されていて、年をとるにしたがってとても穏やかないい顔になっていく。
こんなふうに年を重ねていけたらステキだなと思えた。


左 ペイネ美術館 右 ペイネの恋人の像
深沢紅子野の花美術館
野の花を愛した深沢紅子(1903−1993)の作品を集めた美術館。故郷の盛岡にも野の花美術館がある。
画家深沢省三と結婚し、5人の子どもを育て、たくさんの絵を描いた。
立原道造が亡くなる前の年に、盛岡を訪ねて深沢紅子の別荘にしばらく滞在していた。



深沢紅子野の花美術館内にある、軽井沢ナショナルトラスト事務局の看板。
バスの中でピーターラビットの産みの親、ビアトリクス・ポターのビデオを見て来た。
イギリス湖水地方のピーターラビットを生み出した美しい風景を後世に残したいと、印税で買った土地をポターは死後ナショナルトラストに寄付したと勉強したばかりだった・・・。
日本にも北海道から沖縄まで、各地にナショナルトラストの団体がある。
エルツおもちゃ博物館
エルツおもちゃ博物館(軽井沢)は、チェコとの国境に近いドイツのエルツ地方に伝わる木のおもちゃを集めた博物館。
鉱山(錫)が衰退し、菩提樹やブナなどの木を使った手工芸のおもちゃで産業の復活を果たしたザイフェンの町。300年の伝統を誇る木のおもちゃの数々、マッチバコの中に創造される大きな世界、など色々なおもちゃが収集展示されています。
マッチ箱のおもちゃは、税金対策として考えられたおもちゃとか。大きな重い物は税金が高いなら、小さくてかさばらないものの方が関税が安いということで発達したおもちゃ。マッチ箱の大きさだが精巧に作られている。
絵本の森美術館
洋書の絵本を中心に原画や歴史を展示している美術館。
企画展として、「木葉井悦子・アフリカの命を見つめる」という作品展と「つばさの絵本展ー描かれた天使とその歴史ー特集:東逸子の幻想空間」展が開催中だった。
どちらも見応えのある作品展で、木葉井さんの「絵は見せるために描くのではなく自分と出会うために描く。自分が自然の一部分で自然のせつりの中に在ることとであう」という自分に宛てたメモからの言葉が印象的だった。アフリカのごったまぜの原色の多い色づかいから、エネルギー・力強さやパワーを感じた。
東悦子さんは、昔々、「詩とメルヘン」に投稿していた頃たぶんよく見ていた人だった気がする。手持ちの「詩とメルヘン」は立原道造特集号しか残っていなくて確認できなかったが、たぶんその頃よく見ていた絵だ。「翼の時間」が印象的だった。
図書館の天井窓から天空に飛び立つ少年。言葉はなくて絵だけの展開。でも充分にその幻想的な雰囲気が、言葉以上のものを伝えてくれる。いつもどんな素材を使って絵を仕上げているのだろうかと不思議な気分を持った人だった。エッチングなのかドライポイントなのか、本当にどうやってこんな絵を描けるのか不思議。
そのほかに色んな作家の天使の絵が集めてあって面白い企画展だった。


左 絵本の森美術館第2展示館 右 同図書館
ルーヴル美術館カルコグラフィー展
ルーヴル美術館に納められている銅版画の数々を展示してあった。
円形の線をどうやって描くのだろうかなど素朴な疑問が・・・(^^;)。


いろんなことをたくさん見過ぎてまとめきれなかった・・・(^^;)。
刺激的な2日間だった。刺激的すぎて今週は眠い1週間だった。
おわり。