平成16年11月 7日(日)曇後晴 参加者20名
勝山読書会の恒例の文学散歩、今年は永井路子さんの「寂光院残照」、「平家物語 小原御幸」、白洲正子さんの「名庭紀行 旧秀隣寺庭園」のテキストで、滋賀県朽木村興聖寺・京都大原 勝林院・実行院・三千院・法泉院・寂光院・阿弥陀寺と8カ所のお寺巡りの日程。
旧秀隣寺庭園(興聖寺)
嘉禎3(1237)年、朽木村初代領主佐々木信綱が、承久の乱で戦死した一族の供養のため曹洞宗の開祖道元を招いた。
周囲の景色が伏見深草の興聖寺に似たことに感激した道元の勧めで建立された寺。
信綱の子孫朽木氏の菩提所として保護され栄えた。本尊は最澄作と言われる釈迦如来坐像で、国の重要文化財に指定されている。
本堂前の旧秀隣寺庭園は享録元(1528)年、第12代将軍足利義晴が京の戦乱を避け朽木稙綱を頼った時、将軍を慰めるため細川高国により作庭された。正面の蛇谷ヶ峰と安曇川を借景にした池泉回遊式庭園で、国の名勝に指定。椿や紅葉の名所でもある。
細川高国は秀隣寺庭園を造る前年、一乗谷の南陽寺庭園や湯殿跡庭園なども作庭している。
話し上手なご住職のおかげで、秀隣寺庭園のできた背景を朝倉氏一乗谷遺跡のお庭とからめての説明がよくわかった(^_^)。




椿と紅葉の名所でもある。紅葉はやや早かったようで、もう少し遅い時期には見事なモミジが見られるようだ。
大原 勝林院
勝林院は天台声明の根本道場として835年に慈覚大師円仁が建立した。
大原は、「魚山」(ぎょざん)と呼ばれ、天台声明(仏教音楽)修行の地。
勝林院(下院流・本家)と来迎院(上院流・本願)の二つの道場で声明梵唄が盛んになり、日本の音楽に大きな影響を与えた。
勝林院は「大原問答」で知られる。「大原問答」とは1186年、天台座主顕真と開祖法然との間で、浄土教の念仏により極楽往生できるかどうか行われた問答。本尊の阿弥陀如来は、問答の最中に正論を説くと、光明を放ったといわれ、「証拠の阿弥陀」ともいわれる。
苔の緑がきれいだった。
本堂の釈迦如来は中井貴一さんに似たきりっとしたお顔の仏様だった(-_-;)。




実行院の道をはさんで反対側に後鳥羽上皇の陵がある。
後鳥羽上皇の皇子尊快法親王が三千院におられ、そこに承久の変で流された隠岐から上皇の遺骨がもたらされた。
遺骨は法華堂に置かれたが、明治時代に御陵に移された。
簡素だがすっきりとした美しい建物だ。
実行院
長和2年に建てられた勝林院の僧院。
魚山 実行院と書かれた石碑のある門を潜ると玄関先に黄色と赤の千両、ヤブコウジの一両の赤い実が鮮やかだ。
お庭を眺めながら、お抹茶とお茶菓子をいただく。
その後、庭に降りて散策する。お茶室の理覚庵、待合がある。
マユミの白い実の殻ががきれいな白い色をしている。不断桜が秋の季節に咲いている。
苔の上に1枚、赤く色づいた紅葉が落ちていた。






昼食は三千院の前の芹生。お庭を見せていただく。






宝泉院
大原寺(勝林院)の住職の坊として平安末期に創建された。
現在の建物は江戸初期のものと言われる。
慶長5年関ヶ原の戦に徳川家康の忠臣鳥居元忠以下数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城で自刃した。
その武将たちを供養するたために、伏見城の遺構がお寺の天井の一部に使われている。
宝泉院・養源院・正伝寺の3つのお寺が知られている。
盤垣園と言われる額縁庭園が有名。竹林の間より大原の里が見渡せる。
庭の奥には水琴窟があり、水が地中深くから響く音が聞こえる。
樹齢600年の五葉松もある。







三千院(天台宗)
本堂の往生極楽院は、寛和2年(986年)恵心僧都が姉の安養尼とともに父母の菩提のために建立したお寺。
内部の船底天井と極彩色の壁画は極楽の花園の図を描いたもの。
阿弥陀如来座像を中心に右に観世音菩薩、左に勢至菩薩が正座。
この大和座は死者を迎えに行こうと立ち上がろうとした瞬間の姿ということだ。
少し色づき始めた紅葉が美しい。
今日は約8千人の参拝者とか・・・。普段の土日には1800人ほどの観光客ということだ。
境内にある童地蔵が可愛らしい。
紅葉はまだまだだが、気の早い紅葉が少し色づいている。






寂光院への道は、のんびりと農家の間をブラブラ歩いて行く。
途中にあるお店を冷やかしながら、紅柄格子の立派な民家を眺めたり、焼杉山登山口という標識を眺めたり、歩くことは楽しい。
リュックを背負って歩いている人にどこの山に行かれたのですか?と聞いてしまった。
鞍馬から歩いて来られたとか。色んな楽しみ方ができるものだ。
駐車場から三千院までの道で、仰峠へと書いてある標識を見つけてしまった。大津の棚田のある風景が見えるはずだ・・・(^_^)。
寂光院
寂光院は聖徳太子が用明天皇の菩提のための建立された寺。
大原を舞台に「平家物語」の小原御幸や永井路子さんの「寂光院残照」、大原富枝さんの「建礼門院右京の大夫」などの作品がある。
建礼門院徳子は高倉天皇の皇后、平家一門の都落ちとともに西に下られる。
壇の浦で安徳帝を抱いて入水した所を、源氏の熊手に髪の毛を引っかけられ引き上げれてしまうた。その後、円山公園にある長楽寺で落飾され、洛北の大原寂光院にうつられ安徳帝や平家一門の菩提をともらわれた。
その由緒ある寺も平成12年5月の放火のため全焼し、目下再建中である。
三千院よりも人は少ない・・・。
建礼門院の陵への道は閉ざされている。
一番最初に来たのは学生時代だった。「平家物語」を勉強していて、先生を交えた有志で見学に来たことがあった・・・。


阿弥陀寺
阿弥陀寺は登山のような急な斜面を登った所にある。
慶長14年弾誓上人により創建された寺。
参道の坂の途中には樹齢800年というイロハカエデの大きな木があった。
紅葉の名所だとか。まだまだ紅葉には早いようだが、季節には紅葉狩りの人々で賑わうようだ。
今日は人はほとんでいない。エイザンスミレの白い花が可憐に咲いていた。






秋の日没は早い。湖西の道をバスが走る頃には、もう日が沈んでいた。